関東の人と話しているとき「関西弁で”アホ”って、きついわよねえ。」と言ってらして、関西生まれの私は「バカ!の方がこたえるけどなあ。」と胸のなかで。
若かりし私が帰省して、幼かった子供たちに注意をしていた時に母が「関東弁はキツイなあ。」とポツリ。言葉を放った私は気がつかなくて、それが言葉の怖いところです。関西弁のトーンは柔らかく、関東弁はハード響きがしたようです。母の耳には。
そういう私が最近は十字路を速度を落とさず左折する車に「あのバカヤローが。スピード落とさんと、事故ってからでは遅いやろ!」と声に出てしまっていて自分でビックリ。あまりの交通事故の多さを脅威に思うこのごろなんです。「口悪う!」自分でも思います。
関東と関西、エレベーターの立ち位置も左右が逆です。帰省した時、習性で左に立ってから「ああ、関西は右なんやった。」と気づきながら「なんで?!」と今でも不思議です。
関東は武家社会・関西は商人の社会だった、と聞いても「それにしてもねえ(^-^; 右と左ですか?」
何かと比較されるんですよね。あまり、東北なまりと比べたりはされないようです。
都内にある小物雑貨のお店で出会った販売の女性が「私、関西なのよ。もうこちらに長いけどね。」と話されまして。おしゃべりをしていましたら「関西の人は必ず値切るのよねと言われるのよ。でもね、関東の人だって値切る人はいるわよ。関西人は、って決まってないのにねえ。」とおっしゃったのでした。
昨年も、今住んでいるこの地の生まれの同年代の女性も「関西の人は値切るのよね。」と同じことを言ってらしたですね。そんなイメージが出来上がっているのねと思っただけでしたので、格段イヤだなあとも思いませんでした。「来たわね。」という感じで、笑顔のみを返しましたけどね。
98歳の父の話で「デパートの販売員も話に落ちをつけんとあかんねやで。」と聞いたとき、関東の地でなぜかデパートで働いた私は驚きながら爆笑したものです。
その「落ち」の話を覚えていないのが、まっこと残念ですけどね。(まっことは坂本龍馬の方言ですね笑)
21歳で「からっ風」の吹く熊谷に、唐突の連れ合いの転勤で来て以来関東弁になじむまで1歳の娘を育てながら孤軍奮闘の日々。連れ合いの仕事は深夜までの昭和世代でしたので。
関東の地に長く住んでしまい、でも家の中では関西弁とちゃんぽんの私は「どっちもたいして変わらんのんちゃう、人間って。」と思って暮らしています。
と書いていて、今。明石市の元市長の「政治とカネ」についての関西弁丸出しの熱弁の横でマイクを持っている若い女性の困った顔がテレビに映し出されていて「そうでしょうね。アレだけ熱い関西弁にはついていけないわよね。関東の若い女性は。」と苦笑いしてしまいました。
================
にほんブログ村「団塊の世代」カテゴリーのランキングに参加中です。
いつも応援クリック有難うございます♪