信頼の日本車、でした。と過去形で話さなければいけない日が来ようとは。
我が家はすでに車を廃車にして数年。それでも、気になりますよ。日本の車メーカーの動向は。
もっと気になるのは車メーカーで働く人、下請けの工場の方。
私もかっては短かったですが、小さな鉄工所の原価計算の事務仕事をしましたので。機械油にまみれて働く人たち、機械油が沁みついた工程表を受け取っての原価計算。完成した小さなボルトを初心者マークの私に「俺のクラウンを運転して工場まで運んでくれるか。」と言ってくださった工場長。
時給日給で働きながら、自動車教習所に通ったのでした。原付バイクで。工場長に許可をいただいて。
ナビなどなかったときに、必死で運転して大事なボルトを載せて走った若き日の私。(32歳位でしたか。遠い記憶になりました。)交通量の多い道路をよく事故らずに行けたものです。
作業着姿の男性たちは母の実家で釣り針を研磨していた叔父さんと飛び散る研磨の火花にダブって。私が中学生まで行っていた夏休みの田舎の思い出は暑さにグッタリしていた大きなひまわりと、土ぼこりを残して走り去るバス。
60年前の日本の田舎の光景はそんなでした。 強い日差しの中、おばあちゃんがバスの停留所で待っていてくれたものでした。
まだ貧しかった日本を下支えして「Japan 」をトップにまで引き上げてくださった人たちがいらしたからこそ。
頑張っている機械油の沁みついた作業着の男性たちが肩を落とす姿は見たくないのです。
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