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100歳のお母さんを自宅看護で看取った友人との電話💐

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 都内で暮らしていた頃、保険会社に誘ってくれた友人は福島県出身の肝っ玉母さんでした。体も精神もタフで心配りもすばらしい温かい人柄です。

 喪中はがきが郵便受けに入っていて、彼女のお母さんが亡くなったと知りました。

 彼女のご主人は膵臓がんで長い闘病の末に亡くなったのです。まだまだ若い66歳でらしたのです。お父さんも心臓にペースメーカーを入れていらしてもうだいぶん前に亡くなっています。お母さんは昨年初めに医師から「後2ヶ月ですかね。」と言われて自宅で介護をすることにしたようでした。

 昨日の電話では「その2ヶ月が疲れたのよねえ。今日か、明日かと思う気持ちがねえ。」と。それから1年10ヶ月、彼女と一緒に暮らすお勤めしている娘さんと、訪問医療の医師、看護師に支えられて。彼女は睡眠時間を削って娘さんが出勤する前の朝5時半から7時頃まで周囲を散歩してチェーン店のカフェでコーヒーを飲んで帰宅するという以外、外出することもなく暮らしてきたのよと話してくれました。

 今年お母さんは100歳になられて、この12月初めに「プリンを食べる?じゃ持ってくるからね。」と目を少し外して振り返るともう顔が変わって亡くなっていたのよと。

 ご主人がすい臓がんで亡くなる前に「痛い!痛い!」と言ってらしたのでモルヒネを打ってもらったからね。おばあちゃんが100歳で痛いのは辛いだろうからと医師に痛みで苦しまないようにと、延命治療はしないと伝えていたのよねとも話してくれました。もう3人見送ったわねとしみじみ。でもカラリと「私はそういう宿命らしいわ。」とさぞかし疲れているだろうに、泣き言を言う彼女ではないのです。

 それでも、「帯状疱疹ができたり、口唇ヘルペスができてね。」と体が悲鳴の声をあげていたとサラリと言っていました。そりゃそうでしょうよ。どれほど彼女が頑張る人かは私がよく知っていますから。

 どう話そうかと迷いながらかけた電話でしたが、彼女と保険会社で働いていたころの40年も前の楽しかった話になっていました。私が歌って、彼女はダンスが得意でしたから踊ってと若い女性だった頃の東京での仕事と遊びの思い出話に二人して笑い声が響いたひとときでした。

 今から彼女のための新しいスタートの日々。涙が枯れたら、彼女は元気いっぱいにあるき始める人です。どれほど彼女に元気づけられたか、時として私を叱ってくれる人でもありましたからね。

 良き友人に恵まれてきた私は彼女に感謝の気持ちでむかえるXmasです。

 ありがとう❣いつも元気をもらっったのよ、あなたに。

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