昨日、連れ合いの長兄からの大きな封筒が郵便ポストに入っていました。そんなものが届いたのは初めてです。妙にザワザワして急いで家に飛び込んで連れ合い宛でしたので、渡しました。開けて見て「何、これって!」連れ合いが生まれたときには中国の戦地にいてそのまま帰らぬ人になった連れ合いの父の戦病死の知らせのコピーでした。当時の「歩兵連隊」の大尉からの墨の濃い旧漢字の詳細な戦地の病院での死に至るまでの内容です。8月15日の終戦前の6月に逝去となっていました。どれほど過酷な戦地だったのかがうかがわれる内容でした。
泣いていました!連れ合いは顔も知らずに逝ってしまった亡き父を思って、76年後の涙でした。遺影は我が家にありますが、しみじみとその遺影を見たようでした。
先の大戦では多くの父、兄、弟、恋人、夫、息子が過酷な戦によって帰らぬ人となりました。その多くの命を失った日本はまた生きていくのも過酷な日々が続きました。そうして「もはや戦後ではない」との言葉もありましたが、戦後復興に向けてひたすら働き続けて来られた方々の努力の甲斐あって豊かな国にはなりました。そして今、豊かさもなにか空虚なものを内包した、危なげなこの日本。ほんとうにこれでは尊い命を戦地で落とさざるを得なかった多くの方々に申し訳がたたないように思います。こんな日本は決して望まれていなかったに違いないのですから。
なにが、どうして、この今の日本。多くのおびただしい命に恥じない日本でありたいと切ないほどに問い続けないといけない義務があると、この国に生きているからには。
我が連れ合いには親がわりの長兄も80歳代になって、記憶のあるうちにとの思いから76年間取っておいた大尉の手紙、封筒の宛名も今はもう使われていない旧の住所で連れ合いの祖父宛のもの。すべてが時の流れを感じさせる、痛々しいものでした。
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