私が育った過程をふりかえると、家族で旅行に行ったのは一度だけ。近くの国民宿舎を利用しての海水浴一泊旅行でした。普段の食事も今では「高級魚」になりつつある鯖、サンマの干物。それくらいしか手に入らなかったこんもりした山の間の田舎の暮らしでした。
私の祖母は「今日、ごっとう(ごちそう)にしょか。」と言って生のサバの押しずしだったと亡き母が言っていました。祖父は事業を起こしてそれなりに裕かな生活を手にしたようですが、戦争で紙幣が紙切れになってしまったとか。詳しいことは知らないのですが。
私の父も今でいう大学を出て大手の会社に入社が決まっていたらしいのですが、学徒出陣と敗戦。その後都市から私が生まれた田舎に。その地元の小さな会社に就職と、戦争によって人生の歯車が大きく変わったのです。今も存続している父の勤めるはずだった会社の名前を見ると、不思議な感覚にとらわれるのです。私は存在していなかったでしょうね。
私が結婚してからも月曜から土曜まで仕事だった連れ合い。旅行に行く休日などない日々、有給休暇などありえない会社勤めでした。私が子供だったころから家族で旅行の経験がないと、そんなものなんだと思い込むものです。
「あんなに旅行に行ったのに、今は~」と思うことはありえないのです。
私は自分が育った土地にある温泉地に行ったこともありません。
今は子供たちがスマホをもって、家族旅行の話題もよく聞きます。時代が変わったとはいえ、今の親御さんは大変ねとしみじみ思う私です。
私が主婦のままであったら、海外旅行も行けなかったと思います。自ら飛び込んだ生命保険の営業という、それもまだ歩合制であった時代にひたすら知らないお宅のインターホンを押し続け、断りの続く電話でも諦めることなくかけていました。車にナビなどなくて、ペーパーの住宅地図をコピーしてやっとたどりついたお宅にお邪魔する、こんなことの繰り返しの日々。
連れ合いと私は高卒の履歴。会社勤めでは歴然と差が出るものでした。関東に来てハローワークや、求人広告を見ていた私は新聞紙上で「短大卒以上」という文字を目にした時の衝撃を今でも忘れることはありません。
ほかの人のことは知りません。こと私に関して言えば、こんな暮らしの積み重ねの延長線上にいるのです。それだって、こうして暮らせていることはありがたいことだと思っています。
スマホニュースを見ていますと、私がしていないツイッター等で若い方が「裕福な年寄りが~」と書いておられるのに違和感を覚える私です。
かたや、30代や40代の「富裕層・超富裕層」の方を取り込んで伊勢丹本店さんは売上upと先日記事を読みまして。へえ、どんな仕事をしていらっしゃるのかしらと驚きましたね。
人はそれぞれに一日一日を生きています。まさに千差万別そのものです。そうして土に帰るのです。政治や世情に思うことはあります。思うことは言える時代です。それも感謝ですね。不条理が一変することは難しくても。
(昨日、大谷翔平君にニューヨークの記者が「ニューヨークでどこか気になったところは?」でしたか、そんな質問をしたら「ホテルから出ていないので。」と。本当に野球をするために、食べるものから睡眠の量、質を考えて生活しているのだと!甘いものが好きだから、自分の欲と戦っているとも答えていましたね。膨大な報酬が話題になっていますが、彼の真摯な野球への情熱に脱帽します!)
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