ただいま「断捨離」イコール「終活」実行中です。先日も「ミニマリスト」の娘から「お母さんと私は真逆だからね。」と。
確かに今は亡き母もオシャレが大好きな人でした。戦後のものがなかった時代に、器用だった母はファッション雑誌の型紙をつかって「サーキュラースカート」を作ったと話してくれたことがありました。「ローマの休日」のオードリー・ヘプバーンさんが素敵に着こなしていらした、ウエストがキュッと細くて裾が広がるスカートですね。
母自身の服から私たち子どもの服まで全て母が作っていたものです。それらの服は、今から思うと母のセンスの良さがにじみ出ているものでした。スッキリとしたデザインで俗にいう「垢ぬけた感じ」だったと振り返ります。
ピンクや花柄や、フリルのひらひらしたのは作らなかった母でした。それが悪いということではなくて、なぜかシンプルなデザインを好んでいた母でした。色もベージュや、ネイビーなどシックな色を好んでいましたね。子供服に。
そんな母の作った服を着て育った私たち姉妹は、必然的に洋服大好きに。
年月が流れて私はデパートのアパレル販売員になったのもありまして、ますます大好きなファッションに囲まれて働いていました。
素敵なデザインや、きれいな縫製に見惚れる日々を過ごしました。どうしてあんなに「ときめき」を感じるのでしょうか。美しいものを見るとうっとりとしてしまいます。
そのために、おのずと素敵だと思って購入した洋服はなかなか捨てられずにきてしまいました。
手に取ると、その当時の洋服は「日本製」とあってきれいな縫製なのです。最近は「日本製」を見ることなどなくて。その縫製を見ると、母がミシンで縫ってボタンを手縫いでつけていたのを思い出します。そうして縫い付けたボタンは簡単に取れることなど全くないのです。
世界的なデザイナーになられた「森英恵さん」がデザイナーになられる前でしたかアメリカにいらしたときに、アメリカのデパートで日本製の衣類が粗悪品だとして安売りされていたので発奮したんですと語っていらしたのを覚えています。日本からそんな気骨のあるデザイナーが続々と出ていらした時期があったのを誇らしく思うものです。
さて、私の体型も変わったことですし「終活」やっていますよ。きれいなものはリサイクルに、きれいでも古いと処分するしかありません。名残惜しくてしばらく手にとっては袋に入れる作業に励んでいます。
ただ一つ言えることは「オシャレすることも大事」歳を重ねてオシャレなどどうでもいいやとなると老け込むのが早いのですと。
オシャレだった母がそうでなくなってから、天に召されるのが早かったわねと思うのです。当然外出することも減っていましたし。
イヴサンローランが女性のパンツスーツ(スモーキングルック)を作ったのが1967年。革新的だったと言われるように、ファッションは単なるオシャレだけではない側面も持っているのです。
ココ・シャネル自身は1930年に男性のワードローブから借用したパンツを個人的に着用していたそうです。シャネルスーツは男性の背広の女性版として作ったというのですから、単にオシャレだけではなく、現代の働く女性につながるデザインを作り上げたのですね。
銀幕の有名な女優であるゃサリン・ヘプバーンと、マレーネ・デイ―トリッヒも女性のパンツルックが非難の目で見られていた時にパンツルックを着用していたとのことです。
今では当たり前に見るパンツ(昔はズボンといいましたが)の歴史は女性をスカートonly から解放した、もしくは選択肢を広げたデザイナーや強い意志を持った女優さんたちのおかげなんですね。
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