茨城県が最下位だとか、それがどうしたの?といつも思うのです。茨城県の人は快適に暮らしていらして、なんの不自由も感じておられないのではと。
だいたい、県に順位を付ける意味がわからないのです。福祉がいきわたっているとか、住みやすい環境を行政が頑張って作る努力をしてくれているとかなんですかね?
日本って、もっとしなければいけないことが山積でしょうに。メデイアも何が面白いのか?毎年とりあげているのも理解に苦しみますわ(-_-)
茨城県、農作物も豊かで自然もあっていいところだと思いますよ。
目くじら立てている私がおかしいんですかね?
呑気なことが出来る国は平和だからとの見方もできるのかもしれませんが、その一方で名古屋の入国管理局の施設でスリランカ人のウイシュマ・サンダマリさん(当時33歳)を殺したのは、日本という国の大きな人権無視、人命軽視の闇を表に出した事件だと思います。それも日本より後進国とされる国の人たちへの差別意識、見下す卑しい気持ちが顕著にあらわれた事件だと日本人として恥ずべき、嫌悪感に苛まれてしまいます。
結構以前にアメリカの大学で実験された人間がいかに変貌するのかの観察結果を読んだことがあります。刑務所に見立てた建造物にその大学の学生を2つの集団に分けて、一方は囚人の役、もう一方は看守役としてそれなりに長期観察をした結果、みごとに看守役の学生は優越感を持つにいたり囚人役の学生をいたぶるようになったというものでした。
人間とはかくも変貌するものかと、教授たちも結果に驚いたとありました。
同じ大学生であった実験でもそうなのですから、人間とは怖いものだと思いましたね。それを読んだときは。
ずっと入国管理局の高い壁に囲まれた狭い世界で「この人たちは日本に不法滞在していたんだから悪いんだ、早くそれぞれの国に強制的にでも帰ってもらわないといけない。」と悪人扱いをしていると人間としての心が麻痺してしまうのですかね。
政府の、当時の法務大臣の対応も非常に冷たいものでしたからそうした国なんですね。日本という国家は。
確かに日本にやってくる外国人がすべて善人だとは限らないかもしれません。が、ほんとうの悪人は上手くすり抜けてもう日本に入り込んでいるのではと思わなくもありません。それを見抜くのは容易じゃないのですから。
平和で「お・も・て・な・しの国」でやさしい日本人のイメージの裏で、こんな残酷なことは許されることではありません。世界も注視しています。
いつまで、島国の閉ざされたままの閉鎖的な頑なな考えをつらぬくおつもりですか。その日本国だってもう既に世界の潮流から取り残されて行きつつあるんですからね。明日は我が身だと思えないほど視野の狭いことでは空恐ろしい結末が待っているやもしれません。
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