「がん」という病気に恐怖を感じている連れ合いの気持ちが、夫婦といえどもわかるかと問われたら?やっぱり自分が「がん」宣告を受けないとわからないのだろうと思います。
昨日旅行会社からカラフルな冊子が届きました。メールでも来てはいますが。「おう、スゴイねえ!」と話していたのですが、突如「旅行になんかカネを使っている場合じゃないんだ!病気なんだから。」とスゴイ剣幕で怒りだしたんです。
まあねえ、お湯に浸かって温まったら痒みが出る状態ですし。ただ、私が連れ合いの体に軟膏を塗っている間はさすがにしおらしく「ありがとう。」と言うのです。連れ合いに「ありがとう。」と言われたことが今まで全くなかったので、さすがに弱っているのがわかりました。
でも塗り終わったら、もう元通りの頑固おやじになっていました。娘に話したら「げんきんだよねえ。」と。
なんでしょうかねえ?としか。年数が長くても夫婦はお互いを理解するのは難しいのでしょうね。娘が言っていたように、「男と女は平行線で、決して交差しない。」となにかの本で読んだらしい文言を思い出します。
病院に行くこと、抗がん剤を打つことが日々の明け暮れで年月が過ぎて行くのが本望なら仕方ないと、私は想うしかありません。
私の中では❓が大きくなってはいますが、それが個々の考えの違いであるなら議論をして説き伏せるわけにはいきません。「命」が本題の議論になるわけですから。デリケートな問題です。
ただ、今現在はとにかく抗がん剤を打ってがんの転移を防ぎましょうということです。
定期的に撮っていただくCTでは今のところ転移は認められないと先日の医師の言葉でした。
見えない恐怖。自身がその中にいたら?
とてつもなく大胆な言葉を私は先日このブログに書きました。
「いずれ早かれ遅かれ何かの病気で死ぬでしょうに。」と。抗がん剤を打っている人に発してはならない言葉ですね。
幸い連れ合いはインターネットをしませんので、このブログは見ていません。
ですが、今日は私は少し家を離れていたくなって、リュックを背負って一人でいます。
強がっていないともたないのかも知れない連れ合い、病気になる前も「ありがとう。」の言葉を言えない頑固爺さんと一緒にいる私も疲れることはあるのですよ。
「ありがとう。」の一言を言えない人に付ける薬はないでしょうけれどね。
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