本当に久々に旅行会社のサイトを見ました。
全く違っていますねえ?!コロナ禍の前と大きく様変わりしています。旅行会社さんも相当な痛手を負われているだろうなあとは、当然思っていましたけれど。行くに行けない、こちらも辛い状況でしたし。なんとも言葉にならない日々がまだ続いているんですから。
97歳の父もコロナ禍の前は近隣の温泉に行っては、ビールを呑んだりとのんびりとまた違った空気のなかでくつろいでいたようでした。
施設の中まで立入禁止になろうとは思ってもいなかった方が多くいらっしゃることだと思います。病院もしかりです。娘婿のお母さんも施設に入っていらして会うこともままならず、認知症が少しあるようです。私の父と年齢もほぼ同じです。会えて言葉を交わしたりできれば、記憶も少しでも戻るのではと思うのですが。
目に見えないウイルスに翻弄されている、悔しい現況です。
飲食店の方々はもちろん、リモート勤務の影響でスーツが不要になったとかあらゆるお店に影響がでているやに聞こえてきます。
私の好きな着物をお召になっている方もたまにお見かけしますが、着物にマスクはねえ。本来はしないで素敵にしていてもらいたいのが本音の気持ちです。私も着物を着て出かけることはなくなっています。6月にも入ると、麻の着物を着たいところですけどねえ。
父も母の着物姿の写真をよく撮っていたものです。日本の民族衣装なのですから、無くしてはいけないと思っていますが。着物姿の方は確かに少なくなりました。母が自分で選んで反物を買ってきては一針一針縫い上げた着物がたくさんあるのです。私もその着物を活かしてあげるには、金額はたいしてならなくとも引き取ってもらったほうがいいのではとかねがね考えていました。
私の姉妹がそのように父に話したら、「わしはそんなことは好かん。」の一言だったそうです。やっぱりというのか、父の気性故なのかはわかりませんが。男性には理解ができないのかもしれません。反物を織った方、それを母が縫い上げた着物は本来は生きていると思っていました。お蚕さんから紡いだ絹の糸ですから。
その母の気持ちを込めた着物がもう朽ち果てているのかと思うと母も無念だろうと思えるのです。私の着物は、どんな形であれ活かしてあげたいとずっと考えています。お金にはならないようですけれど。お金に換算できない着物の持つ命をただ粗末にゴミ扱いはできませんので。
でもCMの業者さんは苦手です。お金儲けのツールとしてしか見ていないと思っているのです、私が。命が宿っているとは思っていらっしゃらないとネ。聴いたことはありませんけどね。あくまでも私の勝手な推測です。
父も会話ができるうちに、一緒に旅行ができればいいのにと、温泉にゆったりと入ることができることを願って。大正生まれの父と昭和の戦後生まれの私、戦争末期の生まれの連れ合いと高齢者同士の会話もまた味わいのあるものでしょうに。それぞれに耳も遠くなって傍から見ていたら漫才みたいなかけあいになるのも乙なものでしょ❣ コロナウイルス、いい加減に消え去れ〜☁
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