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97歳の父の遺言状!

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 まだ頭もしっかりしている父です。さすがに足は弱っているので、杖だけでは倒れたりして危険だと車椅子に。 その車椅子に座って足でこいでいるのです。

 3年前に父を訪ねた時、施設の方が洗濯済みの枕カバーを持ってきてくださったのです。枕にピタピタの枕カバーをつけようと父が四苦八苦していたので「しようか?」と言った私に「いい!自分でやる!」と父。

 施設を後にして、関西の友人宅に泊めていただきました。その折に枕カバーの話をしたら「お父さん、えらいねえ。すごいやん。」と友人がいたく感心していましたっけ。

 コロナ禍になるまでは銀行の人に施設に来ていただけたので、不自由なく過ごせていたのですが。今は家族でも施設に入れません。もちろん銀行の方もね。

 父としては歯がゆくても自分で出来ない状態に。

 父は大企業に勤務していたわけでもなく、母が内職をして内助の功で生活していたのです。遺言も何も関係ないと私は思っていました。

 先日父との電話の中で「固定資産税とかどうしてるの?」と私がちょうど固定資産税を払うときだったので深く考えずに聴いてしまったのです。空き家にしたままの状態ですので。「お金」のことを初めて話題にしてしまいました。

 その話から波及していって父が「〇〇に遺言はコレコレこういった内容でと頼んであるからな。」というではないですか。

 初めて聴く話です。私は1人離れたところに住んでいるので空き家だとか土地はもらおうなんて全く思っていなくて。でも妹は「土地もほしい。」と言っていましたから、これだけ考えは変わっていくのですね。環境で。父はどうするつもりなのかまだ明確ではないよいです。私には既に故郷はないのだとの覚悟が出来ていますので。

私と連れ合いともに高卒で何とかかんとか、連れ合いの一度の転職も予期しない展開でせざるを得ない状況になったりと、まあいろいろありました。

 連れ合いが俗に厄年と言われる41歳のときの大晦日。その当時すでに今の住まいから通いきれない営業所に転勤命令が出ていまして、1週間単身で土曜日の夜洗濯物を持って帰ってきて月曜日の朝早くに会社へ車を走らせる日々でした。

 その挙げ句、よりによって大晦日にまた「異動の指示を営業所で待て!」とのことでひたすら連れ合いは指示待ちで帰ることが出来ませんでした。大晦日の深夜遅くに住まいから6駅先の駅まで「迎えにきてくれ。」と電話があって私は車を走らせてその駅前で電車の到着を待ちました。 

 今の集合住宅を購入して2年ほどしか経っていないときでした。

 車に乗り込んできた連れ合いが「中部地方の営業所に転勤辞令がでた。」とぽつんと。全くの左遷でした。それも連れ合いが話すには「決して営業成績は悪くなかった。うちの店より悪い店はいくつもあったのに、俺だけにでた。」と。そのころ100人ほどの部下をもつ大きな基幹店を任されていたのですが、中部地方の小規模の営業所への異動指示だったのです。

 よくも悪くも若い時から生意気なところも持ち合わせていた連れ合い。高卒ゆえの「大卒のやつになんか負けるか!」との反骨心も持ち合わせていたのはいいのですが、相性なのか何なのか社長の覚えがよくないようでしたね。上司に付け届けは全くしませんでしたしね。私が20歳代の頃に「お中元とかテレビで言ってるけど、しなくていいの?」と聴いたことがありました。一度だけ。「いらん。せん。」でおわりでした。私もあまり必要性を感じるタイプでもないのもありましたし。

 かっこよく言えば、仕事で結果を出せばいいだろうと、ね。そして結果を出していました。連れ合いが仕事で神経性胃潰瘍になったこともあるにはあったのですが、そこは戦中派の意固地でもって薬だけで仕事に関しては切り抜けていたのです。

 とは言え、人間には相性というどうしようもないものがあるのも事実でして、社長には気に入られていなかったようでして。飛ばされたんですわ。

 で、「辞める!」と決断するまで悩んだとは思いますが。残って移動してもこの先いいことはないだろうと考えたのでしょう。転職で給与も下がりましたけど。

 大きく分けると似たような職種でしたが、とは言え違うので一から始めるのですからそりゃ大変だっただろうと思います。

 私は連れ合いの仕事のやり方には感心することは多かったです。家で見ているのとは全く違う人間かと思うほど、発想の原点が「自分が楽をするためだ!」と言っていましたが。職場では部下を活かして上手に運営していける能力が発揮できていると思いましたね。私に対するより会社のパートさんからアルバイトの学生さんに至るまで優しいようでしたわ。悪いことをすればガツンと怒りはしたようですけどね。確かに「自分が楽する方法」のよい定型ですかしらね。パワハラして辞められて人員不足になったりしたら、自分が大変になりますから。理にかなっていると思います。

 その点は高く評価しています。家のなかとは別人だったみたいでね。

 父の話からまたまたそれてしまいましたが、連れ合いは頑張ったのですが高卒と大卒の壁は厳然とありまして。給与面ではね。

 父は半民半官のようなところに勤めていたせいか、先日初めて聴いた父の年金額は父1人なら充分暮らせるものでした。一応今で言う大卒でしたし。

 その父が97歳の年齢からか「遺言状に〇〇円を私たち兄弟それぞれにと書いてあるからな。」と話し始めまして。私の心の中では「そんなに残すほどのものもないでしょうに。」と思っていました。

 ここに書けない私の結婚する前の家族にいろんな困った要因がありまして、父の思い通りになるのやら?私は半信半疑の気持ちでして最悪の、世間でよく聞く泥仕合はしたくないなと。精神的によくないことは身体に変調をもたらしますからね。

 裕福な暮らしではありませんが、お金をあの世まで持っていくことはできないのですから^^;「ウソつけ!」と聞こえてきましたかねえ。そりゃこの不安定な世の中ですから、くださるのなら欲しいですよ。でもね、胃炎を起こすような泥仕合に私の神経が持つのか分かりかねるのです。

 理不尽なことには散々怒っていますけれど、それだって疲れるんですものね。エネルギーがいるんですよ。いっぱいね(^_-)

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