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 「英語のレッスン」に救われて

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 このところの97歳の父と兄弟に関する楽しくないことは身体と精神的にダメージを負いました。けれど、毎日穴を開けずに続けている英語のLessonは「AI」が相手であろうと、頭の中が英語でいっぱいになるのです。

 その頭が英語のレッスンでいっぱいになることで、嫌なダメージもその間は全く思い出す余裕もなく没頭しています。進歩はなかなかですけどね。毎回「語学の道は通し。」と1人つぶやいています、ここへきて、この英語のレッスンをすることで私は救われていると気づいたんです。

 嫌なことをずっと頭の中に抱えていると、堂々めぐりをして良いことはありません。じゃ、切り替えようと無理にしても私は引きずってしまうのです。が、この英語のレッスンは1年数ヶ月を経て、厳しくなってきました。 

 スペルの間違いも始めは「まあ、いいか。」と答えで指摘はしても通してくれていたのです。今はスペルのミスは❌になりましたし、発音も「いまのは少し違うようです」と表示が出るようになってきています。何回か耳をすまして発音を聴いてから声に出していても、❌でして、❌が3回続くと「とりあえず次にいきましょう」と諦められてしまうのです。

 「えっ、ああそう。私の発音じゃ通用しませんってことなのね。」と少し落ち込みながら進んでいきます。(落ち込むほど学習していないのも承知していながら、落ち込む私も傲慢と言えば傲慢なヤツですわね。)でもそこからすごいところは再度発音の悪かったところが復習ででてくるのですわ。徹底的にやらせようとしてくれる姿勢の「AI」には感服するばかりです。

 でも、英語の発音の困難さはたぶんずっと続くことでしょう。

 ただ、アフガニスタンで自らの身を削るように医療に貢献されて、農業用水路を造りあげられた中村哲先生のビデオを残していて折に触れて繰り返し先生の生の声をビデオから聴いています。先生は高校生の時から英語は得意でいらしたとのことですが、とつとつとした口調の英語で集めたアフガン人の医師たちに熱を込めて説得しようと語っていらっしゃいます。農業用水路の必要性を。

 私がネイティブの英語の発音が道遠いのは当たり前のこと。文章だって、ボキャブラリーもまだまだはるか彼方、いいえ到達することはありえないでしょう。ただ日々「AI」に悪態をつきながら、というのも日本語の意味として同じであっても❌になるので「ええ!おんなじ意味でしょ。日本語ではこうも言うのよ!」とね。全く同じでないとだめなのが悔しくてですねえ。そこが「AI」ゆえ。

 ですが、救われているのですから感謝❣

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