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「都会風を吹かさないよう」とは?

yellow daisies laid on yellow surface
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 最近移住する人の特集をすることが増えているように思います。

 私が田舎育ちなので、とはいえ21歳から連れ合いの転勤で関東を転々としたのであまり言えないかな?

 今朝たまたま見た報道で過疎地で移住者を募っていた町の、移住者に対して出した「注意」の文章について「その言葉使いはないんじゃない?!」と驚きました。

 「都会風を吹かさないように・品定めをされているのですから。」は言葉としてもう少し与える影響を考えてほしかったですね。

 「品定め」って、人に対して使う言葉じゃないでしょうに。

 一人もこの言葉使いがどんな印象を与えるか気がつく人はいなかったのでしょうか。

 移住者には来てほしい、だからもともとの住民の方は我慢してくださいとは思いません。もちろん。

 いろんな軋轢があるのは想像がつきます。私自身も転勤であちこち行った折に「どんな人が来たのかな?」の視線はおおいに感じましたし。最初の熊谷は田舎の借家暮らしでしたので、ご近所のお年寄りは「どれどれ、どんな人が越してきたんだい?」と。立派な大きなお宅がすぐ近くにあったのですが、近寄りがたかったものでした。私の思い込みですけどね。

20歳まで住んでいた郷里も(その頃は移住者を募ることはなかったですけどね。)「あの家に最近来たお嫁さんはどこの誰なの?」と興味津々で見られていたことは後から知りました。田舎って「どこそこの誰べえの親戚の○○」とたいがい知っている、そんなところみたいです。

 私は若かったので深く考えることはなかったとも言えるのでしょうね。一度住んでいた大阪の社宅から車で実家に帰った時にすり切れたジーンズをはいたままだったので、母が「その恰好で(連れ合いの)家に行くのはやめとき。」と母の着物を着せてくれたことがありまして。

  後で、「あそこの若いお嫁さん、地味な着物を着てはったなあ。」と連れ合いの家の近所の人が言われたとか。連れ合いの実家に行ったとき、だれとも出会っていないのにと不思議でしたけど。壁に耳あり、障子に目あり。家の中から見られていたようでしたね。

 「まあ、勝手に言っといて。」という感覚の私でした。はっきり言って「余計なお世話」言葉にはしませんでしたが。かくだん「害」を被ったわけでもないですし。

 海外の人に対しては意外に目線が違うように感じるのは、これも私の思い込みでしょうか。同じ日本人に対してのほうが厳しいように思うのですが。海外の人はあまりにも違い過ぎて、いう言葉がみつからないといったところですか?

 私のケースと違って「品定め」と印刷された文字になるとこれは違います。

 「人を何だと思っているのですか。」と不快な気持ちになりますよ。

 普通に暮らしていてもいろんな人がいるわけですから、言葉は大切な伝達手段だと認識してほしいですね。

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