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そして女は強くなるのです。

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 年も明けて初詣に、歩いて15分ほどのお寺に行こうとした昼下がり。お天気もよく歩き始めてすぐの信号で「あっ、スマホ忘れた!」と私。スマホの万歩計に催促されている日々なのです。「今日は2000歩。」と表示が出て1週間のグラフが「歩いてないですよ!」とお叱りを受けているようで、スマホでなくても腕時計タイプの万歩計でもよいのですけれど。

 スマホを取りに帰る私はその日に限って自宅の鍵をもってでなかったので、連れ合いが鍵を突き出して一言。「先に行ってるからな!」と不機嫌な声で。「どうぞ。」たかが15分歩けば行けるお寺さんです。

 スマホを持ってスタスタと歩き始めて信号のところはあえて歩道橋を歩きながら「運動。運動。」とお寺の石段前に到着。この石段が難関なんです。昔から数え切れない人が歩いたであろう凸凹の不揃い極まりない石段なんです。ここに越してきた若い頃も「怖っ!」と思ったほどの急勾配の石段です、今は、真ん中に金属の手すりをつけてあるので、しっかりとその手すりを握って一歩一歩と登りました。

 チラホラとお参りにみえていました。お寺さんもコロナ禍のことで、一方通行の張り紙が木の階段の脇にありました。一人づつ詣でてくださいと、丁寧な注意書き。地元のお寺さんなので「昨年はありがとうございました。娘と息子のことも感謝申し上げます。云々。」と手をあわせました。

 しかし、「待てよ。連れ合いは先に行ってるからな。」と怒ったように言っていたのに姿が見えないのです。見えなくてもいいのですが、連れ合いの鍵を渡さないと家に入れないで困るだろうと。私は自分の鍵を持ってでてきたしとキョロキョロしていました。そこにスマホが鳴りました。「どこにいるんだ?!」とまたしても語気荒く連れ合いが言うではありませんか。「はあ?どこって。お寺にいますよ。」と言うしかないですわ。

 マンマ・ミーアなんてこった(@_@;)

 結婚して50年になる二人のこのギクシャクはこれだったんだと確信に至りました。

 私が半世紀前の結婚前、喫茶店で待ち合わせに待つこと2時間半。

 お正月にまたしても娘から「よくそんなに待ったよねえ。」との言葉。「待ったからあなた達がいるのよね。」と言った私に娘が息子の方に目配せをしていった言葉を聞き逃しませんでしたわ。「いなくても良かったのに。」ですって❢まあそりゃ、良い親ではなかったからね。すみませんねと心の中は少々複雑に^^; 今更ですがね。しかし、それは生命に対して無礼というものです。

 待つ私に待つのが嫌いな男の組み合わせ。

 やっとお寺に来た連れ合いが何をしていたか?途中にある駅で私が通るであろうと待っていたと言うではありませんか。

 田んぼの中の一本道でもあるまいに、不思議でなりませんでしたわ。道はあるんですからね、駅などを通らずともね。その発想はなかったですわ、私には。

 かくして、理解不能な夫婦の実態が明らかになったのでした。

 私が「先に行くわよ。」と言葉を放ったならば、私は行きます❢(歩いて15分ですよ。)

 何、つれあいのその中途半端な行動は?!待つなら、私が引き換えした信号のところで待っていたっていいわけでしょうに。分からんわ、私。

 ですから、理不尽に二度も怒られるなんて、冗談じゃないわよ💢と私もバカバカしくなりました。

 口汚く言うとすると、「行くって言ったんなら、行け!!中途半端なことをするんじゃない。」と言いたかったです。歩いて15分のお寺なんだから(・へ・)

 まるで結婚50年の象徴的出来事でありました。20歳だった田舎娘も70歳までにはいろんな修羅場も(大げさですか?)くぐってきたのですから、強くもなるってもんですよ。当たり前でしょうが。

 帰りも一緒には帰る気分にならずにぶらぶらとお天道様の恵みをいただきながら歩いて帰りましたわ。

 こんなことの繰り返しの半世紀。何事も無駄はないとは言いますが、今更無駄だと言われても戻りもできない無情さ?!

 口で言うほど卑屈にはなっていませんわよ。これしきのことはお茶の香さいさい(^_-)

 私は行くって言ったら、行きますからね❣

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