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「まあ、いいっか。」が魔法の言葉💓

Vintage floral pattern (1790s) in high
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 散歩をするにも、同じ道を歩くのは好きじゃなかったり。新しい珍しいものに興味深々になったり。変化があるのが好きなんです。

 そんな私ですが、ラブラブで結婚した人ではない連れ合いと50年もよくぞ一緒にいられたものです。

 熟年離婚が増えているとか。そこの部分だけ私が変化をしなかったのはなぜなのか?

 計算をあまりしない私なのに、離婚を考えた時さすがに計算もしましたし。生きていく上での強さがなかったからか。実際、若いころにいろんな病気にかかり、通院、入院の繰り返しを経験しましたので。自分の体力に自信がなかったのは大きかったと思いますね。

 でもそうしながら、働いていました。もちろん椎間板ヘルニアの激痛で動けないときは、お休みさせてもらいながら。「成人発症スティル病」を発症したのは、有楽町西武の閉店セールのときでしたね。大学病院の内科でそう診断されて10か月通院したものです。ステロイド剤を医師の指示通りに減っていくのを服用しながら。その通院中も単発でデパートで働いていました。「ムーンフェイス」や「むくみ」を持ちながら。

 腰にできている多くの脳腫を診てもらうために大田区の病院の脳神経外科にも通ったり、入院もしました。脳神経外科の部長から「働いているの?」と聞かれて、「デパートで販売の仕事をしています。」と答えるや部長は絶句!「用事がなくてもしゃがんだりするんだよ。ずっと立ちっぱなしはよくないからね。」と。その脳腫は痛いとかなにも症状は今のところ出てはいません。

 「ま、いいっか。」精神が大事だと最近何かで読みました。

 この脳腫は今も腰にもったまま。大田区の病院の部長もすでにいらっしゃらないのは、数年前に病院に電話をして知りました。気さくでいい医師でいらしたので、がっかりしましたが。

 「離婚」という文字が頭に浮かんだとき、まず思ったのは子供二人をかかえてこんな体調で生きていくということは悲惨な状態になるのではないか。

 体が丈夫か、そうでないかは人生において選択肢を大きく変えるのではと私は思います。ずっと元気な人には理解してもらえないでしょうね。

 それでいて、連れ合いはそのずっと元気な人でしたからね。病気がちということを理解してもらえずにきたのも皮肉なことです。

 ずっと元気だった連れ合いが今病気をもっていて、いまのところ私が元気なのも不思議に思えます。

 健康でいられるありがたさは元気な間はあまり考えないものなのでしょう。「なくして知ること」は多いのではないですかねえ。

 そんなこんなで真逆の人と50年。宇宙時間では一瞬の人生でも数多のことをなんとかくぐりぬけて平穏な締め方をしたいと願う今の私です。

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