「学童保育」という言葉すらなかった40年前の私は今の集合住宅に二人の子供を残して、夏休みの間も仕事に出ていました。
近くの会社のパート事務でした。車でお昼に帰ってきて夏は「そうめん」などを作って一緒に食べてからまた会社への日々でした。
一度帰ったとき、姉である小学生高学年の娘が「インターホンが鳴って知らない男の人が水を飲ませてほしい。」と言ったからドアをあけたんだというではないですか?!血の気が引くほど驚いて、慌てて外へ飛び出して近辺にその男がいないかと探しましたが見つかりませんでした。
まあこれと言って被害はなかったのですが、だからいいとは思えない出来事でした。
こんこんと「決してドアは開けてはいけない。」と言うことしか出来ませんでした。
現在学童保育というものがあることは知ってはいましたが、公的なものと民間では大きな経済的負担の落差があるようです。女性の労働の対価に等しい学童保育料金を払うのでは。何のために働いているのかと思うのは当然です。
一人の若いお母さんがその現実に「国なんてくそくらえだ!お母さんの力になりますなんて嘘じゃない?!」と怒り嘆かれるのも無理ないと思いました。
話が飛ぶようですが、内容は変わらないのでウガンダで行動されているNPOの話に。。
録画していた「ウガンダ」のNPOの「テラ」の代表の日本人男性の活動を見ていましたが、置かれている状況は大きく違えど「子供を産む性である女性の立場の厳しさ」には共通するものがあるんだなと身にしみて見入ってしまっていました。
14歳で拉致されて女性兵にされて、強制結婚させられて5人の子どもの母になっている女性。すでに高校生の年齢の息子たちは医者を目指している長男と窃盗団に加わった次男などいろんな悩みを持つ母親でした。別の女性は19歳で母になって、男が妊娠を知って去っていったため自分の父親の下で学校を退学して一人で子育て、家事全般をしている若い女性。学校に行っていたときに英語を習得していたようでしたが。それに加えて、父親がそのシングルマザーの娘を結婚させて代償に「牛をくれ。」と集落の男たちに話しているのです。
女性は「ただ生むための人間」でもなければ、「商品」でもないのにと女性のおかれている立場の脆弱性に同じ女性として言葉が出ませんでした。
日本に戻して、「少子化」だから子供は産んでほしいと国の要望。その家庭それぞれの状態は違うのです。生まれた子どもたちには元気で学習環境も与えてあげたいと若いお母さんは家計の足しにと働きに出るのです。今の日本では子供たちを育て上げるにはどうしても経済的に負担が重いのです。
昔昔のように生まれた子供たちが野山に遊びに行っていた時代とは大きく違っているのですから。
イランでまだ続いているデモのきっかけは「ヒジャブ」を理由にした女性に対する虐待から死に至らしめた事件でした。
女性は現在でもこんなに過酷ななかで、教育を受けたい、子供を育て上げたいと世界の各地で頑張っているのです。
もちろんシングルファーザーもいらっしゃるのも知っています。けれど、女性の数が圧倒的に多いのではないでしょうか。
少子化の問題にとどまらず、ロシアによるウクライナ侵略からウガンダも食糧危機におちいって物価の高騰で餓死者が増加していると。
世界はそうしていやが応でもつながっていることを思い知らされます。日本の物価上昇も含めて。
「家庭少子化庁」を作ったら「はい、解決しました。」ではないのです。
================
にほんブログ村「団塊の世代」カテゴリーのランキングに参加中です。
いつも応援クリック有難うございます♪