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もう色あせてませんか「五輪」

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 私は見ていません。ただ報道で入ってくることの「いやらしさ」だけは[BULLSHIT] (最近この言葉は汚い日本語訳とともに少しづつ表にでてきましたかね)

 「五輪」です。約半世紀前の日本での「五輪」私は子供でしたので、「五輪」関連の建造物にまつわる汚れたお金のことは知りませんでした。いつの世も大規模建築には、というか大金がうごくところにはアリが集まるように美味しい思いをしようとする輩が群がるのですね。

「スポーツの〜」「平和の〜」などという言葉に泥を塗るかのようなあさましい、エゲツない(選手は被害者だと思います)ものに成り下がるとは、クーベルタン氏も呆れ嘆いておられるのではないかと私は勝手に想像しています。

 平穏な気持ちで見て楽しめない、政治色とお金ばかりがギラギラしている「五輪」はもういいです!

 このところ今は亡き「中村哲医師」のビデオ(昨年録画したものです)を繰り返し見ています。中村医師の書かれた本の内容を中村医師の生の声で語られる部分もあって、今の私には響いてきます。何度聞いても。。

 アフガニスタンの人の惨状に心を痛めた中村哲医師の医師として病院を作り、一人でも多くの人を助けんがための行動の軌跡。人として水と、食べ物は必要不可欠です。その水がないがゆえに赤ん坊の皮膚のただれを診て「水で流すだけでもよくなるものを〜」と絶句していらした先生。

 食べ物も水がないため農作ができずの悪循環。日本に帰国してアフガニスタンの惨状を訴え全国を回って寄付金を集めようとされていたさなかに幼いご自身の息子さんに大きな病気が発覚。

 ご自身の息子さんに寄り添うことも断念して、アフガニスタンの難民のために奔走されていたこと。結果10歳で亡くなった息子さんに思いをはせて、「アフガニスタン人もアメリカ人もこどもを失う辛さは同じだろう。余計にこどもを失う辛さが骨身に沁みた。」と語っていらした先生。

 アフガニスタンでの用水路建設に土木工事の資格を取り、重機を操作して自ら土のうを運びクナール川という大河からガンぺリー砂漠まで総延長25kmを超える用水路を完成。荒れ果てた砂漠を青々とした麦畑に変貌させて数十万人を飢えから救う大事業を達成されました。ですが、数年後に「百年に一度」の大洪水に見舞われるというおおきな打撃に「自然の前には生かされている小さな命でしかない人間。」と語っていらっしゃいます。

 福岡県朝倉市の山田堰の有り様を学びに帰国してはじっと山田堰を眺めていらしたといいます。

 一緒に土木工事に関わった若い土木技師の方は用水路が完成したときの中村先生の様子を「他の人から見えないようにして亡くなった息子さんに思いを巡らせていらしたのではないか。」と彼も涙ぐみながら語っていました。「お父さんはやったぞ!」と。その前に「お前の弔いはお父さんがやるからな。天国でまっとれ!」との中村先生の言葉が胸に。。

 一緒に働いてらした看護師の女性は「先生はアフガニスタン人に砂を投げられても、先生の車を横倒しにされても怒ることがなくて。私なんかは頭にきて”先生、もう日本に帰ったほうがよかじゃないですか”と言っても”いや、どうして砂を投げられるのか?その理由を知ろうとされるんですよ。」とも話していらしたのが、印象に残りました。

 クリスチャンでいらしたこともあるでしょうが、そこまで人の想いに深く入り込んでいこうという自分のことは二の次三の次(果たして次があったのかさえ今になればわかりませんけれど)

 最後は銃弾に倒れるまで、アフガニスタンの人のために生ききった中村哲医師。ですが、今のアフガニスタンの酷い状態を目にされたら胸が潰れる思いにかられてしまわれるでしょう。

 人としてどうあるべきかを身を呈して見せてくだすった中村先生。

 私は無責任に自分の心の癒やしにと見ているなんて、叱られるでしょうね。「行動にうつせ!」と弔辞を読まれた長男の方がいつも中村先生に言われていたとありますから。

 もう「五輪」はいらないです。

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