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かっての「竹やり」の発想がまだ継続?!

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北朝鮮のミサイル発射の報道の際の「Jアラート」の誤作動やズレなど、実際に日本国内に着弾した場合どうやったら避けられるのでしょう。

私がなぜか中学生だった55年も前に、「爆弾が落ちてくる!どっちに逃げていいかわからない!」と悪夢にうなされていたことを今でも覚えているのですけれど。

沖縄で訓練の光景で「頭を抱えてうずくまる」方々を報道で少し見たのですが、私のなかでは「あれで危険を回避できるの?」と不思議でなりませんでした。

もちろん指示されてあのような行動をせざるを得なかった方々には申し訳ないと謝罪の気持ちをもって書いています。どうしてあんな指示しか出せないのかが問題だろうと思いますから。

スイスなどではずいぶん前から「核シェルター」が存在すると聞いています。見たことがないので、話だけの頭でっかちの私ですが。

先の大戦から77年経過して、今やドローン爆弾もあり「AI」の進化が武器にどこまで影響を与えているかは私などにはわかるはずもありません。

日々、そんな事を考えて生活しているわけでもないので。今日のお昼ごはんは何にしようか、夜は何を食べようか。よく眠れたか、眠れなかったか。連れ合いの抗がん剤はいつまで続くのか?最終いつまでの寿命なんでしょう?わかること、わかり得ないことの蓄積の上に暮らしています。

けれど、未来のある若い人たちの生存権を守るためにはもっと真剣に現実味のある対策が急務なのではないのかと思うのです。

防衛費のために1兆円、だから増税するというのは安直な発想に思えます。武器や戦闘機を購入しても国民の生命を守れるとは言い切れないのが現状ではないのかと。

コロナワクチンも「ワクチンを打ってください。」と首相自らテレビで訴えておられます。

巷では、コロナワクチンの体内での作用を懸念する本も出回っている今、日本が一番感染者が増えているとか。医療関係者の委員会も作って対応されているというのに、コロナワクチンを打てば安心!とばかり。コロナワクチンが安心安全だという検証を聴くことはなく、精神論だけだと「竹やり」で戦えと指示した80年も前と変わりがないように思ってしまいます。

ミサイルの脅威も、コロナウイルスのワクチン対策も真剣に国民を守る討議(国の検討はどの程度なのか、疑問符はもちつつ)段階はすでに遅いくらいだと痛感しています。

銀座のホステスさんや、高級料理店で楽しい時間を過ごされるお気楽なときはもうおやめいただきたい時期に突入していると、ただのオバサンは思うのですが。

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