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ちあき なおみ さんへ

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 10歳で 家庭の事情で 引っ越しをしました。

近くでしたが、小学校は転校することに。

その小学校で 友達ができて、その友達の家に遊びに行って、がっしりとしたテーブルの上で、三橋美智也さんの「達者でな」(どんだけ、昭和?!)を歌った記憶があるんです。

ともだちの お母さんが 俗にいう「継母」でらしたことは、あとで 知りました。

スナックで働いていらした方だったとか。こどもだった私にはわからないし、関係ないことでした。ただ、田舎ならではのetc~

その お母さんが 「じょうずやね!」と ほめて(当たり前よね、こどものことだものね)くださったのを 覚えています。

引っ越しをするまで、生まれ育った家で 歌を歌った記憶は全くないのです。不思議なくらい?!

その時以来 歌、音楽全般は 私の支えですし、元気をくれる同伴者でもあります。

歌に涙し、陽気なラテン系の楽曲には ダンスも出来ないのに、ステップを踏み、「題名のない音楽会」を何十年もビデオに録り、未知の音楽に ワクワクし続けてきました。感謝!!

中学生で カンツォーネや シャンソン、ビージーズ等 洋楽、和製ポップス フォークソング 音楽ならなんでも、耳が喜び、心が満たされたものでした!

さて、題名の 「ちあき なおみ」さん

10月に結婚したばかりの 昭和47年の「紅白歌合戦」で、「喝采」を聴いた、聴いたのですが、歌ってもいました♪

連れ合いの家の 大晦日、20歳の私は 天然というか、自分でもなんとも?!

歌いたい!のほうが 勝っていたんでしょうね。

子供たちが小学生の頃は、「ママさんコーラス」にはいり、音大の若い先生だったのですが、和製ポップスだったのは 意外でしたけど。アルトだったので 難しくて、でも楽しいのもあり 録音して、練習していましたね。

その 「ちあき なおみ」さんが 表舞台に 出られなくなって、30年近い月日が経ちました。

数年前に CDを買って、聴けば聴く程  ちあきさんの 世界にひきこまれていき、「ちあき なおみ」さんは 「美空 ひばり」さんの 後継者だといわれるのを 当然だな と。

もちろん、「美空 ひばり」さんは 「歌姫」ですもの!不世出の。

歌の「心」が お二人とも 伝わってきます、グイグイと。

戦後、「リンゴの唄」が人々の「こころ」を明るくしたように、(私は生まれてませんが、歌いますよ。)

「歌」「音楽」は 人を癒したり、元気にする力があると、私は思っています。

ちあき さん、どうして デビュー曲が「喝采」だったのでしょうね。

私は 「言霊(ことだま)」って あると 思っているので、あの「喝采」の歌詞が、不思議でならないのです。

「冬隣」のあの歌詞も、貴女の 痛みが伝わってくる 歌詞です。

「歌は 3分間のドラマ」と言われます。 貴女の人生 そのものだったのかも。

でも もっともっと 貴女の歌を 聴きたかったと。

でも、そこまで 人を想うって、すごいことです。

その喪失感も 想像すら出来ない、壮絶なものだったのですね。

お元気で いらしてくださいね。

今も 貴女のファンは たくさん、貴女の唄に 酔いしれていますよ♬

 

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