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「腰痛」に苦しんだ若い頃

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 29歳のときから「腰痛」の辛さと付き合うようになってしまいました。なぜそうなったのかは不明ですが。父が大正生まれにしては174cmの身長があり、やはり腰痛持ちだったのです。遺伝かなと思ってきました。

 今でも不思議なのは、幼い子どもたちをつれてデパートへ行っていた時に「くしゃみ」が出そうになったのですが思わずしゃがんで「くしゃみ」をしたのを覚えています。

 どうして突然しゃがんだのか、体の為せる不思議です。それまで腰痛を経験していなかったのですから。腰痛がその日から始まったわけですが、「くしゃみ」は腰にひびくのだと知っていなかったのに。

 それからは整形外科病院通いが始まりました。40年前はベッドの上に仰向けになって頭と足の双方から引っ張るという治療法でした。

 「腰痛ベルト」を薬局で購入したり、病院で購入したり。顔を洗おうとかがんだ瞬間に激痛が走り、痛みのあまり動けなくなったことも何度もありました。そんなときは腰を曲げたままほんとうにアリのごとく移動してリビングの床の上に海老状態で横になって、ひたすら痛みが薄れるのを待つだけでした。

 その頃、洗濯機が2層式洗濯機でした。その水を含んだ洗濯物を脱水槽に入れるのが出来なかったですね。水を含んだ洗濯物の重いこと!腰を直撃するのです。「腰」は「要」と書くだけあると実体験しました。「腰」を守るために「全自動洗濯機」に変えました。

 掃除機をかけるのもかがんだ状態がきつくて、床にしゃがんだ態勢で掃除機をかけたことも何度か。

 酷いときはもちろん動けなくて。

 腰痛をなだめすかすために、「電気鍼」の治療に一度行った折にはお風呂で足の指を洗うときに感覚がなくなっていて驚いたこともありました。電気鍼治療はその一度だけでやめましたね。

 整体院、マッサージ、鍼灸院、ありとあらゆる治療していただけるところへ通いました。整形外科以外はほとんど健康保険がきかなくて出費も痛かったです。

 長い「腰痛」との共存生活でした。「椎間板ヘルニア」だと告げられていました。

 前に書きましたが、「もう手術しかないかな。」とデパートのお客様に教えていただいていた都内の「名医」と聞いた医師にも診ていただきました。そのお客様のお嬢さんがその医師の手術を受けられた翌日に全く痛みを感じることなく歩けたと教えてくださったのです。

 その「名医」に診ていただきましたら、他の病気が見つかって「絶対に腰の手術はしてはいけない!」と強く言い渡されてしまう結果に。

 その後は大学病院の「鍼灸院」の女医さんに「鍼」と「灸」をしていただくようになりました。その女医さんに治療していただくと体が軽くなって楽になったものです。ですから、私だけではないようで人気がある先生でしたので、予約を取るのが大変でした。

 違う医師にしてもらったことが一度だけありましたが、全く違いましたから尚更でしたね。

 時間で測ったようにではなく「痛いところはないですか。」と最後に必ず聴いてくださるのです。私の娘と同年輩の女医さんでしたが、さっぱりとした性格でいらしてタフな方でした。

 というのも、「離れ島に行くのが好きでね。24時間船に載って行くんだけど、友人と一緒に行ったら彼女は船酔いしてしまって食事が出来ないというから彼女の食事も食べちゃったのよ。ハハハ。」と豪快な先生でしたわ。

 良い医師との出会いは貴重なものです。5年ほど前までお世話になっていました

 今は痛くなることはなぜかありませんが、散々痛い思いをしたぶん未だに気をつけてはいます。もちろん朝起きる際に横になってからゆっくり体を起こすとかは当たり前。 

 腰痛を経験したことのない方と仕事をしていたときは重いものを持ち上げるなぞはできないので、身を小さくする思いで恐縮してばかりいたものです。

 健康はなにものにも代えがたいと痛感したものでした。

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