百年という歳月を生き抜いて
「わしは大正生まれや。」とこだわっていた父は、最後は水分も食べ物も受け付けず(私と娘が亡くなる1週間前に新幹線や高速バスを乗り継いで行った際には、涙を流して喜んでくれ、途切れ途切れながらも言葉を発して。そのせいで喉が渇いたようで、ストローで水分を少し飲んではくれましたけれど)
樹木が枯れるかのように、息を引き取ったと聞きました
その日から、現在74歳の私は「自分の死の時」について漠然とではありますが「父のように逝きたいもの」だと
今、この時、生かせてもらっていることに感謝しながら生活していって、父のあの「領域」にたどり着けたらと願っているのです
欲が深いでしょうか
最近読んだコラムに「最後まで音は聴こえる」とありました
私の大好きな音楽を聴きながら、であったなら最高だわ🎶
父が90歳代後半に差し掛かった時に「佐藤愛子さんの本が読みたい」と電話で聞いて、アマゾンで本を送ったのでした。その佐藤愛子さんも102歳で旅立たれました。お元気で、おきれいでらっしゃいました。合掌
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