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「デザート世代」も荒波の中で元気ですよね❗イルカさん

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 元気でいないと周りに迷惑をかけることに〜。そこは昭和生まれの強みでしょ!物のない時代に生まれ育ったんですから。私は娘から「物のない時代を経験しているから、欲しいんだよね、お母さんは。」と言われて「なるほど!」と妙な感心の仕方をしてしまったことがありましたけど。

 そうであっても、本当に「バナナ」が高級品だった時代を経験しているのも事実なんです。子供のころに何故か一度だけ「バナナ」を食べたことがあって「ふ〜ん、こんなのがあるんだ?!」と思ったものです。

 今や、スーパーには山盛りのバナナ🍌 当たり前のように食べてますよね。いや、若い人は食べていないのかも。たまにプロのテニス選手が休憩中に食べているのを見かけますけどね。それも珍しくて、たいていはエナジードリンクの類を補給しています。プロテニスの選手は。

 昨日もスーパーでカップ麺をカゴいっぱいに入れてる人を見かけると、ついおせっかいの虫が胸の中でザワザワと動き出します。もちろん口には出しませんよ。袋に入った野菜も買えません。昔からの習慣なんですかね、キャベツ、レタス、きゅうり、トマト、野菜は形あるままで買ってきて食べるのが習性になっているのです。そんなふうに育ってきたからでしょう。

 田舎生まれだというのも関係があるでしょうねえ。農家でなくても田舎のおばあちゃんちには小さな畑があって、夏は完熟した熱いトマトをもいできて、がぶりとかぶりついておやつ代わりに食べていました。お日様の味がしたものです。きゅうりも棘が痛くて、青臭い夏の香りが今も懐かしいです。今スーパーで買うきゅうりはあの青い香りが全くしません。

 土とお天道様で育った野菜は見た目はよくなくても、たくましく香り立つ栄養の宝庫だったんです。アレヤコレヤ食べられなくても、野菜とニワトリ小屋から頂いてきた卵を焼いて、それだけで十分でした。

 午後は井戸で冷やしたスイカ🍉をいとこ達と並んで食べては、種を台所の土間にペッペッと飛ばしあっていましたね。後で、ホーキで履いて片付けて完了❗

 そんな昭和の田舎の原風景が心の奥底には残っていて、消えることはありません。

 こどもの私には太陽と、暑さと花の大きさに少しうなだれているひまわり🌻の花。田舎の舗装されていない道を走り去る唯一の交通手段のバスが残していく乾いた土埃と、ひときわ大きい蝉のミーンミーンの大合唱しかきこえない静まり返った点在する家々が夏休みの思い出。後、優しかったおばあちゃんと黒い扇風機だけ。

 👒に、母の作った水玉模様のワンピースを着た、子供のくせにちょっと憂い顔の私が見えます。中学生にもなると、思春期でしたから。それを最後にバスでおばあちゃんちに行くことはなくなりました。

 昭和30年代前後ははそんな日本の田舎でした。

 昭和の戦後まもなく生まれてきたのだと改めて実感する70歳は、森進一氏が作られた「昭和・平成・令和を生きる」の歌、まさに!

 友人との電話で「わたしたちの感覚だと、明治時代の人ってことよね。明治って昔・昔って思ってたのに。自分たちが昭和の人って凄いわよね(^_^;)」と笑いあいました。でもみんな元気で働いていたり、ボランティア活動にとたくましいですよ❣

イルカさんも昔のまんま、おかっぱ頭とジーンズのトレードマークは変わらずですよね😊

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