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私が凍りついた出来事 

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 もう40数年も昔のことになりました。まだ娘がお転婆さんで幼かった頃、私も20歳代だった春まだ浅い日曜日のお昼すぎに娘と弟である息子と近所の同じ歳ころの子たちと近くの公園に遊びに行っていました。私は家でラジオのFM放送の音楽をカセットテープに録音していました。なにごともない休日の昼下がりでした。そこへ幼い息子が「おねえちゃんが知らないおじさんの自転車に乗って行っちゃった!」と言うために戻ってきたんです。私は一瞬凍りつきましたが、すぐに110番をしました。パトカーが数台、早かったです。私の脳裏には娘の横たわっている映像が浮かんだのは今でもハッキリ覚えています。でも相手が自転車だったのが幸いしてパトカーから娘がキョトンとしておりてきたときには私は号泣しながら思い切り抱きしめていました、娘を。

 よく遊びに行っていた公園でした。たくさんの子供達があそべるように遊具や砂場、走り回れる公園でしたから、まさかそんなことが起きるとは思ってもいなかったのです。娘はお菓子に釣られたようでした。食いしん坊さんでしたし、お菓子が嫌いなこどもはそういませんしね。私がついていかないで公園に子どもたちだけで行かせたことを甘いと言われれば反論はできませんが。ついていかなかったことは初めてではなかったのです。まずは無事であったことに安堵しましたが、そのとき録音していた音楽をだいぶん日数が経過してからたまたま聴いたとき、その凍りついた記憶が蘇ってきて恐ろしくてすぐにそのカセットテープは捨てました。そのときほど音楽が記憶と直結するのだと思ったことはなかったほど、強烈なものでした!

 今でも夕暮れ時に幼い女の子が一人で歩いていると、気になって「大丈夫かね?」と通りすぎても振り返り振り返り目で追ってしまいます。娘のときの男は年配は50歳代のおじさんという風体で、その一件のまえに私が子どもたちとその公園に行っていたときにいたような、かすかにそう記憶が蘇って下見にきていたのかともおもったりしました。ですが、記憶に残らない風体のおじさんでしかなかったので。

 現代も学校の校長だとか、教師であるとか、はたまた若い男性、こどもたちに対するわいせつな事件が後をたたないのには驚いています。いろいろなところでですが、子どもたちが驚異にさらされているのは事実だと思います。学校で生徒の下着の色をチェックするなんて異常なことだと思いますし、怒りすら感じます。子どもたちを守るべき学校がなにを目的にするのかと大きな疑問しか湧いてきません。

 私が娘に「先生であろうと、おまわりさんであろうとついて行ってはいけないのよ!」とうるさいぐらいに言ってきたのは娘を守るため!!いまはお子さんたちもお守りようの携帯電話をもっているようですが、万全ではないということを肝に命じていただきたいなと思ってもいます。それがあるからといって100%の安心はないのだと。じゃあ、どうして守るのか。昔から言われ続けている「知らない人に声をかけられてもついていかない」狼は巧みな言葉をつかってきます。「携帯電話でお母さんに聞いてみる」外が暗くなってからは家を出ないこと。昼間でもなるべく一人ではなく、下校グループと一緒に行動すること。防犯ブザーを鳴らすのもひとつ。これが絶対!というのは難しいのですが、徹底されすぎている子には私が「こんにちは。」と声をかけてもムスッとされて悲しい思いをしたこともありますが、それぐらいに用心しているのはすごいことです。受難の子どもたちを守るのは、「子供庁」ではなく、親御さんたちしかできないと私は思っています。私の自戒も込めて!

 おじいちゃん、おばあちゃんでいらっしゃる立場の方々もどうかお孫さんにじぶんを守る知恵を優しく教えてさしあげてくださいますようm(_ _)m

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