先日、自転車のペダルを踏んで行ったスーパーマーケットのレジで、スマホの割引きクーポンを見せて、カードで支払いました。

「2回払いで~」と言ったので「暗唱番号を入れてください」と、、

この時、小さなボタンで数字を押すのを間違えたのですが(視力も落ちているのと、あまり使わないので、不慣れも加わり)、苛立った若い女性店員さんの表情に”この婆さんが(~_~メ) 忙しいんだから、ササっとしてよ!”と~

被害妄想でしょうかしら❓

「ああ、歳はとりたくないわねぇ」と心のなかで溜息が出ましたわ。

ほんのちょっとした言葉や、表情に敏感になるのは、「明るい未来」を描けない日々の生活を過ごしているからでしょうか。

10種類もの薬を服用しながら、少し認知機能の下がりかけている連れ合いの「子供帰り」のような行動に、私が我慢を強いられる日々。

「老々介護」が事件にまでなって、報道されるときに、いつも「他人事ではない」と感じていました。

「ショートステイを利用してみたら、どうですか?」と、電話相談で言われましたけれど。

「ショートステイは、当人だけでなく、介護する側の人のためでもあるのですから。」と正論をおっしゃるのです。

娘にその旨を伝えると、「お父さんが、じゃ行ってみるよと言わないんじゃない?」と、連れ合いの気質を知っている娘の返事に「そうなのよね。あなたもそう思うわよね、やっぱり。」と、電話を切って、しばし心がうつむいていた私。

結局、再三見た録画の映画と、アマゾンのアクションドラマを見続けている連れ合いをテレビの前に残して。

私は自分の部屋で、心の安静を保つ時間を持つ日々の繰り返しを~

私が仕事をしなくなってから、まだ10年ほどだというのに(10年が長いか、短いかの判断はお任せするとして)

働いていた時の私は、こんなではなかったのに、とたまに思い出してしまうのです。もちろん、連れ合いも通院しながらも、まだ今よりは元気でしたしね。

時おり「なんて、生産性のない生活をしているのかしら。ただ、食べて、寝ての暮らしだなんて、、」と思うのです、私。

この息が詰まるような生活は半世紀を超える結婚生活を反映しているのだと、振り返ります。

2人でどういった「人生」を描いて生きていくのか、といった話など一切したこともなく、お互いに違う方向を見て、生きてきた結果の今。と言えど、時計の針は戻せません。

まるで今は亡き、お義母さんに言っていたのと同じような言葉を私に投げてくる連れ合いに、「戦争未亡人だったお義母さん、父親の顔を知らない末っ子の我がままを不憫だと思っていらしたんですよね。」と、語りかけている私なのです。

「ポジティブ」シンキングに転換するために、さてどうしましょうかねぇ❓

 

ABOUT ME
audreyh0504
自己紹介 もうすぐ73歳に 関西から半世紀以上前に関東へ 連れ合いが突然関東への転勤を命じられ 埼玉県や都内に住んで 今は千葉県 子ども二人はは関東育ち 関西弁は当然のこと関東弁は仕事がらですが いまだイントネーションは直りません