22歳の私が、三十路近い連れ合いと1歳の娘を抱いて「からっ風の熊谷」に降り立った1月の夜🌌 から、現在に至るまでの半世紀以上の「走馬灯」
全国に支店のある運送会社勤務だった連れ合いに「転勤辞令」が出てしまった故、あたふたとした引っ越しだったのでした。
関東で暮らすなんて、全く『想定外』でして。
「熊谷って、どこにあるの❓熊が出るの❓」と、マジメに聞いたのを覚えていますもの。熊谷の方々、お許しくださいませ。
関西弁の私が、関東弁を少しづつ覚えながら、「熱さの夏と、からっかぜの冬」を4回過ごした熊谷、正確には高崎線の「籠原駅」 終点の駅でしたね。
半世紀以上も前の「籠原駅」周辺は田んぼと畑が広がるのどかな所でした。
背負った娘を「綿わた入りのねんねこ袢纏」を羽織って、からっ風から守りながら、路線バスに乗って買い物に行った「八木橋デパート」は、今もあるようですね。テレビで見ると、懐かしく思い出しますねぇ。
歳を重ねた連れ合いと私、昨夕、思い出話に花が咲いたのでした。
珍しく、連れ合いが「お前さんのおかげや。俺は子どもの世話は一切せんかったしな。夜は麻雀して帰らんし。お前さん一人で育てたんやからな。」と、言ったのでした(*_*)
本当に初めての連れ合いの言葉に、内心「ほお~、珍しいこと言うてはるわ。」と(^-^;
まあね、見知らぬ土地で、頼る人もなく、熊谷で生まれた病気がちの息子と、元気な娘と3人、てんやわんやの日々でしたね。
私は女らしいタイプでもなく、献身的な母親でもないので、いろんな仕事に就いて働きながら、ガムシャラに今まできた感があるのです。
「韓流ドラマ」にはまることもなく、きましたので(今、娘から”今風の押し活でもあれば、いいのに”と呆れられています)
男性といえば、顧客か、上司、同僚としか見たことがなかった人生でしたわ。「ときめく」なんて、全く縁がなくて。
ただ一度、熊谷の冬に娘を「ねんねこ袢纏」で背負って、路線バスの停留所に向かっていたときの出来事には、ちょっぴり「イケメンのトラック野郎」に胸キュン💓となったことが~
「菅原文太」さんよりもっとハンサムだったかも(^_-)-☆のトラック野郎 に「クラクション📯」で挨拶されたときの「一瞬のときめき💛」を懐かしく想いだしていましたわ(^^♪
今どきの若いママとは、時代が違い、全く洒落っ気なんてない「ねんねこ袢纏」姿だった私でした。
連れ合いの勤める運送会社の、同郷の若い独身男性社員さんでした。今もお元気で、どちらでお暮しでしょうかねぇ。
連れ合いも言ってました。「男前で、仕事も出来るいい男やったなあ。」と。
前期高齢者も終盤の、この私にも「たった一度」のトラック野郎からの「クラクション」の挨拶は、懐かしい想い出やわ、と連れ合いに話したのでした。
23歳の「ヤンママ」(YOUNG MOTHER)だった私も、夢幻の如く遠くなりて
生まれた時から「お婆さん・お爺さん」やないんやから。そうですよねえ。皆さん(^_-)
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